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ぶらり下町〜墨堤〜 [ざれごと写真日記]

 メタボ進行中。

 唯一の運動であった接待ゴルフも、時節柄極端に回数が減り、この半年で4キロ増えた。心機一転、休日は極力、自力歩行を心がけようとジョギング・シューズを購入。急激な運動で行き倒れにはなりたくないので、本日はまずご近所の知らざる史跡の写真でも撮りながら、だらだらウォーキングをする事に。

 我家から一番近い社〜三囲(みめぐり)神社。
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ガキの頃の遊び場であり、数えきれずお参りに来ているわけだが、境内に建てられた句碑には全く関心がなかった。歌ごごろ稀薄、草書体解読不能の自分ではあるが、この年齢になると不思議と「詠みこなしたい」という衝動に駆られる今日この頃。

よく見ると、多くの石碑のうちのいくつかには、昔にはなかった解説版が付いているではないか。
最近の下町ブームが、こんな小さな神社にまで及んでいるとは・・・ありがたや、ありがたや。

幼少期のかくれんぼ。息を潜めて張り付いていた冷たい石の板が、突然、命を吹き返して語りかけてくるようだ。
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元禄時代、日照り続きの当地に訪れた俳人の宝井其角(きかく)が、「雨乞いをしてくれ。」と農民に頼まれ詠んだ。

  夕立や田を見めぐりの神ならば

「豊か」の「ゆ」「た」「か」と「三囲みめぐり」を折り込んだ絶妙な一句。
夕方になると、雷が轟き、大雨が降って来たという。


朱楽菅江(あけらかんこう)辞世の句
あけら.jpgまず、名前が粋である。「アッケラカン」とは・・・
江戸時代にも洒落た文人がいたんだな。

 執着の心や娑婆に残るらん吉野の桜更科の月

今では廃れてしまった狂歌である。吉野の桜も更科の月も私は未見であるが、交通機関の発達した現代なら、その気になれば可能である。今の自分であれば、アンコールワットとオーロラかな。

通い慣れた場所での新発見に心を沸き立たせ、料亭の立ち並ぶ“見番通り”を抜け、隅田川沿いに北に向かって歩く。鳩の街商店街、地蔵坂通りを過ぎると高速向島出口が見えて来る。この辺りの裏小路に入ると、軒先に植木を並べた下町らしい風景が多く見られる。・・・と、祭り囃子が聞こえる。


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今日が「白髭神社」のお祭りであった。
小さい境内の内外に露天がぎっしり、子供達で賑わっている。

白髭神社.jpg








祭りとくれば、神輿。神輿とくれば担がねばならない。
祭りは観るものではなくて、参加すべきがモットーである。とりあえず、大判焼きを一口で頬張り、この場を立ち去る。(なにがダイエットだ!)

9月の地元の例大祭(牛島神社)が楽しみである。



白髭橋を渡ると、そこは台東区。ここから川沿いに今度は南に下る。
意外とこの近辺は歩いた記憶が少ない。

山谷堀公園.jpg





「山谷堀公園」

こんな場所は知らなかった。


山谷堀2.jpg

隅田川から吉原遊郭に向けて堀があり、舟を仕立てての通いが、風流人の証だったらしい。




また、祭り囃子が聞こえてきた。
どうも本日はお祭り日和のようだ。
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「今戸神社」も祭りだった。

縁結びの神として有名で、神殿左に見える「招き猫のカップル」がトレードマーク。

境内の石碑を見ると
今戸神社2.jpg
「沖田総司終焉の地」とある。
京で亡くなったのではなかったのか?
知識不足を嘆く。

ちなみに「今戸焼」とは、大判焼きの仲間ではなく、陶芸です。
勉強になるなぁ〜と思いつつ「待乳山聖天」へ
待乳山.jpg
ここに寺院があるのは知っていたが、参拝は初めてである。
縁起は1400年前まで遡り、江戸時代は今より大きな山に在ったらしい。
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(安藤広重 待乳山上見晴之図)


境内に歌碑を発見。
元禄時代の歌人・戸田茂睡

 あはれとは夕超えてゆく人もみよ
      まつちの山に残すことの葉


所要2時間半。自宅から僅か3キロ圏内で、こんな楽しみ方ができたなんて・・・
暫く、『下町散歩』と古文に嵌りそうだ。


スカイツリー.jpg


最後に東京新名所「スカイツリー」

万一、運悪く倒壊したら、自宅にアンテナが突き刺さります・・


この塔も300年後には、語り継がれる史跡になるのだろうか?
















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